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7月, 2021の投稿を表示しています

感情と理性

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  作者の母上は65歳のころ、アルツハイマー型認知症と診断されたそう。社交的で趣味も多く、何事もてきぱきとこなすお母さんだったそうだが 何もせず、ぼんやりしていることが多く、料理の手順も思い出せなくなり 「まさか」と思いつつも父上と一緒に診察を受け アルツハイマー型認知症との診断を受けた。 作者自身は大学からずっと10年以上脳科学者として講義も行ってきており、「認知症は誰でも年齢を重ねるとなる可能性がある」ことを知っていたが 母が変わっていくのを見るのがつらく 日記をつけ始めたそう。 独身でずっと両親とともに暮らしてきて 母親とはとても仲もよく信頼もしあってきたそうだが 変わっていく母親に時にはイライラしたり、嘆いたり怒りを感じたこともあったようだが そのうち 母の行動をご自分の学問上の知識から 考えるようになっていって・・・ それまでは料理をしたことがなかった著者は 母親と一緒に台所に立ち、母親のできることをしてもらいながら 病気のことの洞察も深めていく。 父上は散歩を一緒にしながら 「気持ちの良いことをする」ことで 母の日常を少しでも穏やかに過ごせるように考えていく。 認知症でも感情は残っているそうで 自尊心を傷つけられれば怒る。その時本人は何に怒ったのか忘れてしまっていても 怒りだけが残っているようだ。脳の中でも感情の方が理性よりも安定していて 病気でも壊れにくいようである。 やはり 普通の娘とは違い 母親の行動を理解していこうとする部分には 「さすが!」とおもった。 しばらくして 少しずつ母親を理解できるようになって絢子さんが お母さんにかける言葉や お母さんがやはり母親として絢子さんにかける言葉の場面など 何度か ぐっとくるものがあった。 「 母と一緒で嫌なこともあるけれど、嬉(うれ)しいこと、学べることがたくさんある 」「 理解力が衰えて、なお残っているものが、母が人生の中で大事にしてきたものなのではなかろうか 」 あとがきに 出版社の方がこれを読んで脳科学の追及に一緒に手を貸してくれ、母上のネガティブな行動にも「こういうことではないですか」などヒントを与えてくれて 時に感嘆して接することができたそう・・・ よく「趣味を持つこと」「多くの人と接すること」「運動すること」など 認知症にならないために言われていることがあるが 私は 「そうとばかりはいえないの

ハスの花びら

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 テレビ番組で「ハスの花びらを加工し ブローチなどに・・」という映像を見た。どう勘違いしたのか「7月30日まで」と記憶していて ずっと予定が詰まっていたがやっと今日空いたので 「ハスの花は午前中に咲くから・・」と 朝早く出かけてきた。この施設は今の時期だけか  ずっとなのか知らないが 7時開園だという。 入園料を払いながら 「ハスのアートはどこで?」とたずねたら 「だいぶ前に終わりました。作品の展示販売は8月になってから・・」だって・・・。がっかり!  映像では若い女性がハスの花びらに特殊な塗料で彩色しているところが写っていて・・ぜひ見たいと思ってやってきたのに。 でも 園内は花であふれかえっているので 久しぶりにたくさんの花を楽しんできた。 ペチュニアとバーベナ ミズアオイ ここはハスやスイレンがたくさんある 「ニュートン」という名のスイレン ワンビサ という名のスイレン                 ピーチグロー  という名のスイレン 温室には珍しい植物が・・・ イワタバコの種類らしい パラグライオニバスという名のスイレンの葉 この「水生植物園水の森」は草津市にあって このそばの烏丸半島には 以前は 琵琶湖岸いっぱいにハスが群生していて それはそれは見ごたえがあった。それが数年前、突然減少(というか絶滅)して 当時は原因についてあれこれ言われていたが そのうち話題にもならなくなった。 一体どうしてあれほどあったハスが全くなくなったのか その後はっきりした原因が分かったのか 公園内を歩いている職員さんらしい人に聞いてみた。 2015年琵琶湖の水位が下がり 2016年から 花があっという間になくなってしまった。水位が下がって水質が悪化したのが 原因だといわれているがあれほど大量にあったものがすべてなくなったという はっきりしたことはまだ突き止められていない。おそらく枯れたハスの葉が大量に蓄積したため 湖の底にたまり土に蓋をしてしまって酸素がなくなり呼吸できなくなったためではないか。 県職員らが水中にもぐり地下茎のサンプルを採取したが 地下茎はほとんど腐食していたらしい。食害ではなさそう・・・ などと言われている、らしい。 とにかく広範囲にハスが湖に広がって咲いているのは見事だった。その面積は甲子園球場の10倍くらい、とも言われていた。 2013年8月夏休みを利用し

夏野菜

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 梅雨が明けたと思ったら 連日真夏日、猛暑日で 野菜作りをしている人々は ご自分の家で消費しきれないらしく 次々野菜が届く。大変ありがたい。 採りたてのキュウリの味は格別、なんといってもぬかみそ漬けがおいしい。きゅうりもみのほかキューちゃん漬けも2度作った。 ゴーヤも次々採れるらしいが ほかの人は「ゴーヤはいらない」というらしく 2,3日にいっぺん3本くらい届く( ^)o(^ )  ゴーヤチャンプルーばかりも飽きるので佃煮にした。その次は バナナと一緒にスムージーに・・・・ そして青シソ。毎年「シソ、いらんか?」と来てくれる友人。一度は「ありがとう。ごめん。うちもシソだけは植えているから」と断ったが 3日後にまた「シソ、まだあるか?」と来てくれた。何度も断るのも悪いと思い、もらった。肥えている土地に植えているのだろう,葉の大きさも我が家の倍ほどはある。 この友人はとにかく 「もったいない」精神旺盛な人で 地域の人たちの不用品を集め フリマに出し、収益をすべて社会福祉協議会に寄付している。10年以上ひょっとしたら15年くらいになるかもしれない。 新しいうちに料理したほうが良いと思い、夜なべに葉を採り、ネットで検索。シソをみじん切りにしてゴマ油でいため味噌と砂糖、ごまで調理。シソの香りがよい、 そういえば母は 夏になると「シソ巻き」を作っていた。砂糖を効かせ、練り味噌にしてそれをシソの葉でくるくる巻き、油で焼き付ける。 母が一人暮らしになってからは 母の妹が手土産にシソ巻きを作ってもって来てくれ、 私が夏母のもとを訪ねると よく叔母のシソ巻きがあった。何回か、私も同じように作ってみたが叔母のようにはきれいにできないし、おいしいがかなり味が濃いので あまりたくさんは食べられない。 シソの葉の大量消費はなんと言ってもシソジュース。 我が家のシソでも3回作り それもまだ残っていて冷蔵庫野菜室に大瓶が入っているけれど 結局友人のシソのほとんどをジュースにした。我が家の赤しそを少しだけ足したら 赤いジュースになる。クエン酸をきかせているので 汗をかいた後たまらなくおいしい。 6月に作った梅ジュースもたくさんある(白いのは氷) シソジュースも梅ジュースも容器に入れ 冷凍しておいてシャーベット感覚で食べたりしている。普段ジュース類は全く飲まないのに夏はこうしてせっせと作り 消費してい

夫婦

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 重松サンの本は7,8年前(もっと前かも?)まで はまって 図書館に行くたびに新しい本を見つけ借りてきて ここの図書館にある本はすべて読んでしまった。ただ、「お涙ちょうだい」的な設定に急に嫌気がさしてしまい、しばらく遠ざかっていた。 2013.7第1刷のこの本は その後に発行されたということか‥‥ 400頁、2段組み、かなりの文字数だけれど 読みやすかった。 50歳近い三人の仲良し男性とその夫婦関係、そこへ絡んでくる若い男女とその親。家族とは・・と考えさせられ、日常の食生活についても 感じるところが多かった。重松サン自身たぶん料理に造詣が深いのだと思うが 随所においしそうな料理が出てくるし、またどこにでもある調味料などをつかって ササッとごちそうらしいものが作られる様子に いくつか真似したいと思ってメモをとった。 「ファミレス」っていうのは「ファミリーレストラン」の略だと思うが 「ファミリー レス」ともとれる、なんてうまいこと言うなぁ。 ちょっと怪しげな料理の先生エリカ先生が 3色のプリンを作った。卵の黄身だけを使用したもの、白身だけを使用したもの、全卵を使用したもの。それを皆に味わってもらって言った言葉。 黄身と白身という全然違うものが一つの殻に入っていてそれぞれにおいしいけれど 二つ合わさった時のおいしさは最高。 別々のものが一緒になっておいしくなるのはまさに家族でしょ?卵には殻が必要なの、殻がないと外に流れてしまう。家族にもうっとおしいかもしれないけれどカラみたいな存在が大切なの、それが厳しいおばあちゃんだったりするの 不登校の子の家にいる厳しいおばあちゃんのことをさりげなく例えているのかな。 仲良し三人はそれぞれの問題を抱えていて 一緒に料理をしたりファミレスで食事したりしながら 相談したり一緒に考えたり・・・でも女性はともかく 男性が中年になっても家族ともども交流しているってなかなか素敵だと思う。

開催の意味

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 時々出会う友人の中の一人とつい先日まで「今からでもオリンピックを中止してほしい」と出会うたびに言っていた。今年になって何度この言葉を言い合ったことか・・・・ でもあと7日に迫った今は もう、中止してほしいとは言わない。ただただ、海外からの選手からクラスターが…などというようなことのないよう 少しでも穏やかに終わってほしいと祈るような気持ちだ。 しかし 数日前からの東京の新型コロナの感染者数の増加は? だいぶ前に専門家が言ったとおりの筋書きになっているのではないか! 緊急事態宣言の出ている場所でのオリンピックって? 専門家会議の尾身会長が「パンデミック中のオリンピック開催は普通では考えられない」って言って それでもだいぶ政府に遠慮しながらの提言だったと思うのに 「安心安全の・・・」とか「緊張感をもって・・・」とか「専門家のご意見を聞きながら・・」とか中身のない説明ばかり。 NHKの世論調査では こんな状態でのオリンピック開催を「納得しない」と「あまり納得しない」を合わせると 60㌫以上になるらしい。 NHKのラジオ放送に山口香さんが出ていた。 ソウルオリンピックの銅メダリストらしいが 私はそのころのことは知らない。しかし 山口さんは「物言わぬスポーツ界」で〔出る杭〕であり続けた人で 新聞などで意見を読むとすごく納得できることを言う人。 今年2月組織委員会の森会長が辞任した時に「後任に山口香さんがなってくれれば・・・・」とひそかに思っていた。実際には橋本聖子氏が就任した。 【今こそオリンピックのあり方を根本から考えるべき】と言い続けており 今回の放送で 山口さんは 「政府、組織委員会、スポーツ界のどこからも 有事の中でなぜオリンピックを開くのかという答えが聞こえてこない」「例えば大リーグとオリンピックは 何が違うのか」「メダル競争に偏っている、伝える側も選手も・・・」 そして「オリンピックは世界中の人が同じ機会を与えられ、選手も見る人も共に分かり合って平和を高める平和の祭典であるはずなのに 今回はそれができなくなっているのに何のために開くのか」 そして最後に山口さんは 「これを機会にオリンピックのあり方、スポーツの意義、世界とのかかわり方を一人一人が考えながら 観戦してほしい」とくくった。 中学の時だったか 近代オリンピックはクーベルタンが 「勝つことではなく参加する

原発ゼロ

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2011.3.11の東日本大震災の時の福島第一原子力発電所の事故以来、 原発の恐ろしさを実感していて 今後の世の中で一番の心配は 原子力発電ではないかと思っていて この本を予約し、借りることができたので読んでみた。 う~ん 難しかった~~  大震災当時首相だった管(かん)直人氏の作 ふだん軽い小説ばかり読んでいるのでなかなか頭に入って来なくて メモ用紙を用意してところどころ 書き留めておいて 読み進めた。 通常の火災や爆発などの事故では10年たてば ある程度がれきは撤去され、爆発物も取り除かれ 装置のあった敷地は更地になり 新しく施設などができるだろう。 原発事故の場合、その本体はその場所に残り 更地に戻すことはできず 今後跡地をどうするかの計画を立てることすらできない。土地だけではなく周辺に住んでいた人々は従来の住んでいた場所に帰ることができない。その人々にとって何とつらい選択を迫られていることか…これがほかの事故とは違う放射能の怖さだと思う。 比較するのが適切ではないのかもしれないが 阪神淡路大震災も衝撃的な事故だったが 数年たった神戸を訪れた時には 復興の速さにびっくりした記憶がある。亡くなった大勢の人にとっては復興等という言葉を使ってもらいたくないのかもしれないが 少なくともこわれた高速道路や建物は 地震の名残というものは感じられなかった。 それに引き換え、福島は「故郷を奪われた」人々は二度と同じ地に住むことはできないでいる。すべて放射能のせいで・・・言葉には言い表すことができないほどのつらいことではないだろうか。 管氏によると ◎ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)など再生可能エネルギーを活用することで日       本に必要な電力は100㌫供給可能 ◎原発ゼロでもCO2を削減し、全電力をまかなえる ◎原発は運転開始から40年が過ぎたら運転を停止し、廃炉にする ◎日本の原発をゼロにすることを退任後の政治活動の中心にするということを決意 これらのことをこの中で主張している。 ただ、「経産省は再生可能エネルギー発電があまりに普及すると原発の存在理由がなくなると考えているらしく いろいろ画策している」ことと 「40年が過ぎても例外として20年を超えない延長が認められ 高浜原発(46年)が再稼働されようとしている」 このような高いハードルもありそうだが 東芝や

楽しいあらそい?

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 3日には熱海市で土石流で大勢の方々が被害を受け いまだに行方不明の方も20人くらいおられる。そして今朝は九州南部3県に警報が出ていて雨で多くの方々が被災している。お見舞いを申し上げる。 自然観察の森の活動日もどちらかというと雨の日が多いので 今日も覚悟していたが ありがたいことに全く雨は降らなかった。 最初、森の中の観察。 クヌギのドングリの観察。 クチナシの花は終わりかけだったが 香りをかいでもらう。 右側には花びらが落ちてしまったガクだけ これは今日の画像ではなく この後のクチナシはこのようになる クチナシの実、11月ころから色つく 花の終わった後の形を見、実の形の画像も子供たちに見せた。 池にはこうほねが咲いていたが 中をのぞいてもアメンボ以外は見つからなかった。 その後、 「トントン啄木鳥  をくろう」 見本のキツツキ キツツキが木をたたくのは   〇木の中の昆虫を食べる   〇木に穴を掘って巣を作る   〇コミュニケーションをはかる   〇なわばりを主張する バルサ材のキツツキに 穴をあけ、ばねになる針金をつけ 時間のある子は色付け。 40分くらいで制作し、その後班別対抗戦。 色付けも なかなか個性があってすてき!! 係りの合図によって上から下までキツツキがトントン下りていく時間が長い方が勝ち! 班ごとに10名ずつ交代で競争したが 最長一位は2分10秒くらいだったかな。自分たちで練習しているときにはうまく トントン トントンと下りて行ったのに 途中で止まってしまうキツツキ続出! 子どもたちよりもサポーターの方が 「がんばれ がんばれ」と自分たちの班を応援しているかと思えば 自分の班のキツツキが止まってしまったら ほかの班で動いているキツツキを「とまれ~」「とまれっ!」などと・・・・自分たちの班の子が最後まで上手に下りて行ったら 拍手して大喜び!!ずいぶん楽しませてもらった。 次に  勾玉をつくろう 先の対抗戦に時間をとられすぎたので 時間がすくなかった。 杉を 職員さんがいろいろな形に作ってくれてあり それをまず120番の紙やすりでできるだけ滑らかにし、400番で仕上げ。400番の紙やすりは家に持って帰らせて家で仕上げるよう伝えた。 子どもたち30名分の杉を 職員さんが手間暇かけて勾玉にしやすいように形作ってくれてあり そうでなければ限られた時間内に