感情と理性
作者の母上は65歳のころ、アルツハイマー型認知症と診断されたそう。社交的で趣味も多く、何事もてきぱきとこなすお母さんだったそうだが 何もせず、ぼんやりしていることが多く、料理の手順も思い出せなくなり 「まさか」と思いつつも父上と一緒に診察を受け アルツハイマー型認知症との診断を受けた。
作者自身は大学からずっと10年以上脳科学者として講義も行ってきており、「認知症は誰でも年齢を重ねるとなる可能性がある」ことを知っていたが 母が変わっていくのを見るのがつらく 日記をつけ始めたそう。
独身でずっと両親とともに暮らしてきて 母親とはとても仲もよく信頼もしあってきたそうだが 変わっていく母親に時にはイライラしたり、嘆いたり怒りを感じたこともあったようだが そのうち 母の行動をご自分の学問上の知識から 考えるようになっていって・・・
それまでは料理をしたことがなかった著者は 母親と一緒に台所に立ち、母親のできることをしてもらいながら 病気のことの洞察も深めていく。
父上は散歩を一緒にしながら 「気持ちの良いことをする」ことで 母の日常を少しでも穏やかに過ごせるように考えていく。
認知症でも感情は残っているそうで 自尊心を傷つけられれば怒る。その時本人は何に怒ったのか忘れてしまっていても 怒りだけが残っているようだ。脳の中でも感情の方が理性よりも安定していて 病気でも壊れにくいようである。
やはり 普通の娘とは違い 母親の行動を理解していこうとする部分には 「さすが!」とおもった。
しばらくして 少しずつ母親を理解できるようになって絢子さんが お母さんにかける言葉や お母さんがやはり母親として絢子さんにかける言葉の場面など 何度か ぐっとくるものがあった。
「母と一緒で嫌なこともあるけれど、嬉(うれ)しいこと、学べることがたくさんある」「理解力が衰えて、なお残っているものが、母が人生の中で大事にしてきたものなのではなかろうか」
あとがきに 出版社の方がこれを読んで脳科学の追及に一緒に手を貸してくれ、母上のネガティブな行動にも「こういうことではないですか」などヒントを与えてくれて 時に感嘆して接することができたそう・・・
よく「趣味を持つこと」「多くの人と接すること」「運動すること」など 認知症にならないために言われていることがあるが 私は 「そうとばかりはいえないのではないか」「なにか違う」って感じていた。
アルツハイマー型かどうかわからないけれど 細かい日本刺繍の先生が若くして認知症になっているのを知っているので 認知症というのは ある意味 一つの病気で「風邪をひく」「がんになる」などのように誰もがなりうるもののような気がしていたから・・・
この本の前に下記の本も読んだ
この本も岡野氏が最初離れて暮らす弟さんに認知症の母親の様子を知らせるために 画像をとっていたが そのうちそれを本にしたら 売れて「母ちゃんありがとう、ぼけてくれて。ネタになった~」などと言って笑いをとっているように見せかけている。そんな母親と過ごしているうちに 母親からいくつもの愛をもらっていることに気付いていく、やさしい息子としての様子が分かり ほっとさせられた。
無償の愛、などというが なかなか 親からたくさんの愛をもらっているということを自覚できないだろうと思うが こうして書き進んでいるうちに 気が付いていく、ということもあるのかな。
もし身近な人が認知症になったら この二冊の本のことを思い出して 大きな心で接することができるだろうか、ちょっぴり心もとないが (';')
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